学生時代の友人にTという奴がいた。 
Tの家は鬱蒼と生い茂った雑木林の先にある山の中の一軒家で、遊びに行くのが少し怖かった記憶がある。 
実際にTは、家と街を結ぶ山道でいろいろと「変なもの」を見た事があるらしい。 
視界の片隅に浮遊する生首のような物が見えたが、焦点をそちらに合わせると何も無いだとか、 
見慣れぬ子供たちから、獣の死骸に石をぶつけるのを誘われたりとか、まぁ、いろいろである。 

そんなTが高校生の頃の話。 
野球部に在籍していた彼は毎日のように帰りが遅く、家に着くのは日が暮れてからであった。 
街灯もまばらで、申し訳程度に舗装された頼りない道を、自転車のか細いライトを頼りに懸命にペダルを漕ぎ、 
風でざわめく雑木林を振り切ると、ようやく我が家の明かりが見えてきてホッと息をつけるのだという。 

しかしある晩、その明かりがTを出迎えてくれなかった事があった。 
いつもなら一家団欒の頃で、テレビでも見ながらご飯を食べているような時間である。 
ところが今日に限っては、闇夜に家のシルエットが浮かび上がるだけで、にぎやかな声も聞こえない。 
玄関は開いている、が「ただいま」の声に返答は無い。 
自分に内緒で外食にでも行ってるのかと、Tはかすかな不安を覆い隠しつつ、二階の部屋へと向う… 

「…!!」と声にならない声を出し、Tは後ろへ飛び跳ねて今にも階段から転げ落ちそうになった。 
誰もいないとばかり思っていたが、薄明かりを灯しただけの暗い部屋に祖母・母・妹が鎮座していたのである。 
妹は先まで泣いていたようで母の膝の上で寝息を立てており、祖母は数珠を手に何やら経文を唱えている。 
何事かと髪の乱れた母に尋ねると、父の様子がおかしいと、よく分からない説明をした。 

恐る恐る居間へ忍び寄ると、そこには大酒をかっ喰らいイビキをかいている父の姿。 
辺りには割れた瓶や、魚の骨や肉のパックが散乱し酷い有様。生で食べたと思われる。 
勤め先で何か嫌な事でもあって荒れたのだろうか? とも思ったが、それにしては異様な光景である。 
父を揺り起こすと、意外にもいつもと変わらぬ呑気な口調でお目覚めのご挨拶。

Tは父に水を飲ませ、詳しく話を聞いた。 
しかし、帰宅途中にバイクのハンドルが効かなくなり、草むらの中に突っ込んでから先の記憶が無いと語る。 
居間の散らかり具合を見た父は、自分がやった事も忘れ、唖然としていたという。 

翌朝、休日だった事もあり、Tは父と二人で事故現場に赴いた。 
そこは緩やかな弧を描く道で、事故を起こすような場所には思えなかったが、 
Tの心の中には「変なもの」を見た時のような、じめじめとした嫌な気分が生じたそうだ。 

「おお、あったあった」と素っ頓狂な父の声に振り返るT。 
しかし、目に入ったのはバイクを手にした父の姿だけではない。 
バイクが転がっていた草むらの中には、地元の人々からも忘れ去られたような小さな祠(ほこら)が佇んでいた。 
それは祠本体と中の像がひとつの石材から彫り出された簡素な物だったが、像の部分はおぼろげでよく分からない形。 
風雨に晒されて削り取られた…というよりは、むしろ人為的に打ち砕かれたのではないかとも思える。 
Tは祠の事を聞こうとしたが、父はバイクがカスリ傷で済んだ事にご機嫌で、祠の事など眼中にないご様子。 

帰宅してからTが祠の事を祖母に尋ねると、「口にしちゃならん!」と怒鳴られ、それ以上聞くに聞けない。 
やはり、あの祠は何かあるらしい。そう思ったTは、日を改めてまた例の草むらに行ったものの、 
生い茂った草に阻まれてか、再び祠を目にする事は叶わなかったという。 
結局、事故と父の豹変、そして祠にどんな関連があったのか分からないまま、T家にいつもの日常が戻った… 

ちなみに、この事故から一年くらい経って、Tに父からバイクを譲ってやるという話があったが、 
祠と関わってしまったあのバイクには何となく乗りたくなかったそうで、 
Tは学校を卒業するまで、雑木林の先の明かりを目指して懸命にペダルを漕ぎ続けたのである。